管理人の旅行記 2003年2月 和歌山


●御三家 紀州へ

商店街青年部(39歳のおっさんのどこが青年なんだろうか?と自分でも思いますが)の全国大会があり、和歌山に行ってきました。
初日の夜、高知の青年部長らと飲む約束をして、指定の場所へ行ってみると「酔鯨」というお店でした。「酔鯨」はもちろん山内容堂の雅号ですが、入店してすぐに「高知の方のお店なんですか?」と聞くと、お酒の銘柄からつけた店名ということでした。席につくと、高知の青年部長が昨晩から和歌山入りしており、この看板が目に入って昨日もここで飲まれていたと言うことでした。酔わないうちに、割り箸の袋を胸ポケットに入れ杯を手にしましたが、高知の人がいる席では飲むのに気合がはいります。



札幌から一泊二日の強行スケジュール&缶詰状態の会議でしたが、翌朝ちょっとだけ早起きして史跡を見てきました。
歴史ファンに「和歌山と言えば誰?」と聞くと、「徳川吉宗」あるいは、「紀伊国屋文左衛門」と答えるのでしょうか。ここは御三家紀州藩、そうです「いろは丸事件」の龍馬の対戦相手そのものです。(^_^;)
また、龍馬が「我隊中の者は大小の物を取り上ぐれば、皆路頭に立つ奴なれど、唯陸奥要之助一人は喰うに困る男に非ず」と評した、海援隊士であり後の外務大臣・陸奥宗光の出身地です。



■■■■ 和歌山城 ■■■■



和歌山城の天守閣が開くのは午前9時との事。残念ながら朝食前の見学は無理なので、ホテルの窓から記念撮影をしました。最初の目的地は、お城の横にある岡公園にある陸奥宗光像です。札幌と違って、散歩には気持ちの良い気温(と言っても5〜6度だったと思いますが)でした。途中、馬上の武士の像が...案の定、徳川吉宗のものでした。



■■■■ 陸奥宗光像 ■■■■

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ホテルから徒歩10分にて岡公園に到着。公園の入口からいきなり急な上り坂.....しかし期待に胸膨らむ私は全く動じないハズ。でも、ちょっと辛そう.....なるほど「岡公園」意味が解りました。(^_^;)
息切れしながら頂上付近に到着。しかし、陸奥さんの銅像がない....探しまわること10分、しかし、ない....ベンチで新聞を読んでいるおじさんがいたので、思いっきり笑顔で話しかけてみる。道産子は愛想が悪いと聞いたことがあるので、特に気持ちを込めて作り笑顔で「陸奥宗光の銅像はどこにあるかご存知ありませんか?」と問いかけた。しかし、あっさりと「ムツムネミツって誰?」。ちょっと倒れそうになったが、気を取り直して持ってきた資料の写真を見てもらった。「この銅像なんですが...」。すると「ああ、青いやつね」と言って、岡の下の方を指差し「一番下にあるよ」と言われた。再度倒れそうになったが、御礼を言って大急ぎで降りていった。
写真では台座が切れているように見えますが、処理のミスではなく、プレートも像も右端にあります。生前の性格を物語ったのだろうか....
大幅に時間をロスしてしまったので、駆け足で次の史跡へ向かいました。



■■■■ 勝海舟寓居跡 ■■■■


「いろは丸事件」のちょうど4年前の文久3年4月に、龍馬はここ和歌山に滞在していた勝海舟を訪ねております。南海和歌山市駅より、徒歩5分の商店街の一角に、勝海舟寓居跡があります。和歌山市には、「南海和歌山市駅」と「JR和歌山駅」という全く別の駅があるので、注意が必要です。駅名を間違えると、徒歩5分が徒歩30分になってしまいますよ。(^_^;) 「寓居」というのは「脱!竜馬がゆく」の史跡紹介に良く出てくる単語ですが、仮住まいのことです。(念のため。。。)