管理人の旅行記 2000年高知


●9年ぶりの高知

北海道に引っ込んで9年、長崎・高知どころか京都へも行くことが出来ませんでした。本州へは、仕事がらみで東京か神戸....といっても神戸海軍操練所の跡地へ行けたわけでもありません。(;_;)
ところが、私の所属する商店街の視察旅行で、今年はどこへ行こうかという時に、ダメもとで「高知!高知!」と手を上げた私の意見が通ってしまいました。(^_^;)
そんなわけで、9年ぶりに高知を訪れることになりました。


初日は瀬戸大橋見物で、琴平に泊まるということで、まったく龍馬とは関係のない一日と割り切っていたのですが、瀬戸大橋で乗った遊覧船が何と「威臨丸」という名前ではないですか!案の定、勝海舟の資料館もあり、楽しい30分間でした。
2日目は龍河洞をぜひ見ようと勧め、帰り道の途中だからと言って、龍馬に興味の無い6名を無理やり誘って「 龍馬歴史館 」を見物。私は2度目でしたので、蝋人形より、みやげコーナーが目的でした。(^_^;)
昼からは、本来の目的である高知の商店街視察です。しかし、私は途中で「吉田東洋の碑」を見つけ、記念撮影!<まじめに仕事せい!
3日目はお約束事の高知城見学からスタート。


しめは桂浜。9年前のひとり旅の時、桂浜でカメラが壊れてしまったので、今回はじめて銅像を撮影しました。右の写真は桂浜で飲んだ「龍馬ビール」です。函館で売っている「土方ビール」とラベルが違うだけだったので、ちょっとがっかりしました。
龍馬ビールのラベルには次の文章が書かれています。
=====================================================================
He studied KENDO under SHUSAKU CHIBA.
He practiced the naval strategy of KATSU KAISHU.
He began the KAI-EN-TAI association in Nagasaki.
He was murdered in Kyoto by the SHOGUNATE when he was 32 years old.
=====================================================================
以下、TAM訳
=====================================================================
彼は千葉周作のもとで剣道の修行をしました。
彼は勝海舟のもとで海軍戦略の仕事をしました。
彼は長崎で海援隊という組織を作りました。
彼は32歳の時に、幕府によって京都で暗殺されました。
=====================================================================

今回は、仕事がらみと言うことで、メジャーなところしか行けませんでしたが、久しぶりの龍馬関連の旅行が出来たので満足です!