お竜の再婚は明治何年? 2003/03/11 up   2011/06/02 revision  

 お竜の命日である1月15日(2003年)に、掲示板でお竜の再婚した年が話題になりました。妙さんが『坂本龍馬大辞典』と平尾道雄著『坂本龍馬のすべて』には、明治18年に再婚とあるが、『龍馬百話』には明治8年となっているとご指摘してくださいました。
 さらに、雲龍さんが『坂本龍馬大辞典』では、お竜の項には明治18年だが、西村松兵衛の項には何と明治8年になっていると発見されたのです。(^_^;)
 これはミスプリとかいう話しではないですよね。そこで、少々調べてみました。


【関連本の扱い】

 とりあえず、手持ちの本で再婚について書いてあるものを片っ端から調べてみました。坂本栄考察の時もそうでしたが、古い出版になると自害したことになっており、最近の本では柴田家の人間として亡くなっているとなっておりました。そのように、定説の変化ということもあるか思い、下の表は出版年代別に並べております。

タイトル 記載場所 著者 出版者 出版年
8 龍馬の愛した女 あとがき 大内美予子 新人物往来社 1978
戸籍が実生活を忠実に伝えるものではないがとしながら、松兵衛の戸籍に記載として紹介
8 龍馬の妻 あとがきにかえて 阿井景子 ちくま文庫 1979(1985)
18 坂本龍馬のすべて 龍馬をめぐる女 平尾道雄 新人物往来社 1979(1997)
明治18年頃と記述
(18) 坂本龍馬全集 年譜   光風社 1980
「18年に西村松兵衛・母・君枝と横須賀にて同居、つると改名」とある。
随想 坂本龍馬 お龍のこと 宮地佐一郎 旺文社文庫 1986
明治7年(お竜34歳)に楢崎太一郎誕生。享年19歳。
8 物語龍馬を愛した7人の女 おりょう (大内美予子) 新人物往来社 1991
宮地佐一郎から「おりょう息子があった。横須賀の信楽寺の過去帳に『明治二十六年九月九日 見應松道信士 西村松平子 十九歳』とあり、逆算すれば明治8年の生まれだ」
8 龍馬百話 お龍と明治 宮地佐一郎 文集文庫 1991
8 龍馬の妻おりょう あとがき 前田愛子 新人物往来社 1994
18 坂本龍馬大事典 坂本龍 (伊東成郎) 新人物往来社 1995
8 坂本龍馬大事典 西村松兵衛 (今川美玖) 新人物往来社 1995
8 歴史クローズアップ坂本龍馬 龍馬とともに歩んだ40人 (宮地佐一郎) 世界文化社 1996
8 おりょう残夢沙 解説 中津文彦 PHP文庫 2001
※坂本龍馬全集の(18)は「18年頃」と記載されていたため
※著者に( )があるものは、共著の作品で、再婚の年を記載した個所を担当した者
※出版年( )内は、私の所有する本の重版年
結果はご覧のように、出版年には関係なく「明治8年」とするものと「明治18年」とするものがありました。 。



【戸籍と子供】

 以下の2冊に興味深い事が書かれてましたので、引用いたします。

龍馬の妻(阿井景子)の「あとがきにかえて」より

  • 明治4年《1871》に戸籍法が出来、明治8年2月13日には「平民は必ず苗字をつけるべし」の太政官命令が出された
  • 明治8年7月2日《1875》、西村松兵衛の妻ツルとして入籍される
  • 戸籍にりょうは嘉永3年6月6日《1850》生まれと記載
  • 「墓碑には明治39年1月15日《1906》没、享年66歳」とある(これが正しければ天保12年《1841》生まれとなる)

随想 坂本龍馬の「お龍のこと」より

  • 現在お龍の墓のある横須賀の信楽寺の過去帳に「楢崎太一郎母」の記載がある
  • 同じ過去帳明治二十六年九月九日「見應松道信士 西村松平子 十九歳」とある
  • 逆算すると明治7年お龍が34歳の時に一児をもうけた

※最後の「逆算すると明治7年お龍が34歳の時に一児をもうけた」ですが、竜野天馬さんより「特に『享年』といった場合は数え年をさすのが普通なので、19歳というのが数え年なら生まれは明治8年になります」とのご指摘を受けましたが、上には「随想 坂本龍馬」に記載されているまま、明治7年としてあります。

 上記のことより、

(1)お竜と松兵衛は少なくても明治7年前後(妊娠から逆算)にはお付き合いがあった。
(2)戸籍法により、明治8年に婚姻を届けた。
(3)お竜は再婚前には松兵衛に対し、年齢を10ほど若く言っていたため、本当は天保12(1841)年生まれなのに、戸籍には嘉永3(1850)年生まれと記載した。
(4)お墓を建てるときには、松兵衛は本当の年齢を知っていた。
(5)この10の差で、お竜か松兵衛が誰かに「25歳で再婚した」と言ったのではないだろうか。その資料が残っていて8年説と18年説が入り乱れた。


と考察いたします。
 りういちさんから、信楽寺の過去帳にある「楢崎太一郎」が楢崎姓ということから「松兵衛の実子でないのでは」というご指摘がございました。
 確かにこの考察は「楢崎太一郎」が松兵衛との間にできた子と仮定した場合の事ですので、りういちさんの推測どおり松兵衛の子ではなければ、(1)に関しては意味のない事になります。
 松兵衛とお竜は龍馬の生前に面識があったとの説もありますので、もしこの説が正しければ「寺田屋に泊まった松兵衛に歳を聞かれ、10歳若く言った」という考え方もできます。お竜は当時25〜6歳だったので、それを15〜6歳と言うのは少し勇気が必要ですが、通常の旅館での会話を想像するには、ある程度自然(仲居さんが実際の歳より若く言う行動)に思われます。佐々木高行は日記でお竜のことを『有名なる美人の事』と書いているので、26歳のお竜を松兵衛が16歳と信じてしまったということもありえますよね。



【結論】

 以上のことから、私は下の表のとおり結論づけました。

西暦(年号) 年齢
1841年(天保12) 1 お竜、生まれる
1864年(元治1) 24 寺田屋に預けられる
    坂本龍馬と結婚(慶応2年説もあり)
1866年(慶応2) 26 1月、寺田屋遭難
    3月、鹿児島へ龍馬と新婚旅行
1867年(慶応3) 27 龍馬死去
1875年(明治8) 35 西村松兵衛の妻ツルとして入籍
    太一郎を出産
1893年(明治26) 53 太一郎死去(享年19歳)
1906年(明治39) 66






 と、このページをアップしたのが平成15年3月でした。平成23年6月に読み返して、「あれ?太一郎っておりょうの弟じゃ?」と思い、ネットで調べてみたところ、鏡川伊一郎氏のブログ「小説の孵化場」に行きつきました。その中の「おりょうさんの子供?」を読ませていただき納得。。。。
 楢崎太一郎はおりょうの弟で、2010年の大河ドラマ「龍馬伝」にも出てきます。信楽寺の過去帳の「楢崎太一郎母」はおりょうの母親で、楢崎貞のことでした。m(__)m
 詳しくは鏡川伊一郎氏のブログをご覧いただきたいのですが、「西村松平子」は松兵衛の養子松之助の事でした。。。。



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