※「脱!竜馬がゆく」では、龍馬とお龍の混乱を避けるため、「竜」と記載してます。
坂本家には商人の家で、龍馬の4代前の直益が郷士株(武士の権利)をお金で買い、長男の直海を郷士坂本家の初代とし、直清に商家才谷屋を継がせました。ですから坂本家には武士と商人の二系統があります。 郷士坂本家としては3代目にあたるのが龍馬の父である坂本八平で、その長男であり、龍馬の兄である坂本権平が4代目です。後に、権平は龍馬の姉である千鶴の息子である直寛を養子にし、郷士坂本家を継がせています。 龍馬(直柔)は妻のお竜(おりょう)との間に子がありませんでした。龍馬が没した明治維新後の明治4年8月20日、維新の功労者である坂本龍馬の系統が途絶えることに防ごうと、朝旨により姉千鶴のもう一人の息子高松太郎が「坂本直」として龍馬遺跡を相続しました。ですから、坂本竜馬の直系というと坂本直の子孫ということになるのですが、坂本直には実子が無かったのか、数人の養子縁組をして おります。そのなかの直衛が家督を継いだようですが、その直衛に実子がなかったのか、先に書きました郷士坂本家の本家を継いだ、龍馬の姉のもう一人の息子である直寛の長男である直道を養子に貰い受け、龍馬の系統を絶やさないようにしたようですが、残念ながらこの系譜は、直道の子供の直臣さんと寿美子さんで龍馬から数えて5代目で途絶えております。ですから坂本龍馬の直系は存在せず、郷士坂本本家の子孫が全国にいらっしゃいます。 ちなみに私の住んでいる北海道の有名な画家である坂本直行先生は直寛の孫にあたる方でした。有名なところでは、北海道銘菓六花亭の包装紙は坂本直行さんの絵を使用しております。
坂本家 明智家 坂本家の家紋は、「違枡桔梗紋」(ちがいますききょうもん)といい、「組み合わせ角に桔梗紋」ともいいます。 あの織田信長を撃った明智光秀の家紋は「桔梗」です。また、明智光秀が近江坂本を本拠としたことから、光秀の娘婿である明智秀満の子が、落ち武者となって土佐に逃れ、長岡郡才谷村に住んだのが、坂本家の起こりだという伝説もあります。しかし、坂本家発祥の地の才谷村に、土佐移住の初代とされる坂本太郎五郎の墓があるのですが、その墓碑の側面には、「太郎五郎は山城国の生まれで、おそらく弘治、永禄のころ戦乱を逃れて才谷村にやってきたのであろう」といった意味のことが刻まれているいますので、明智一族が滅亡するより、だいぶ以前です。結局のところ、坂本家と明智は特に関係ないと思われます。
2枚の写真の合成です。
参考文献 ■ 坂本龍馬事典 ■ 坂本龍馬大事典