●千葉定吉・重太郎の墓    2010/9/14 up  TOP  > 東京  > 池袋周辺   
東京都豊島区南池袋4 

 墓の位置は、1種西6号5側。
 千葉定吉は、千葉周作の弟で、京橋桶町付近に道場を構える一方、嘉永6年に鳥取藩の江戸屋敷に仕え、創術師範をつとめる。龍馬の入門とほぼ同時に鳥取藩に仕官してしまったため、実際に龍馬に剣術を教えたのは息子の重太郎だと思われる。
 万延元年ごろになると重太郎も定吉同様に鳥取藩に仕えるようになり、長州征伐や戊辰戦争に鳥取藩士として従軍した。明治4年1月、定吉の隠居によって家督を相続。その後は鳥取県、開拓使、京都府などに出仕した。

参考文献: 東京「幕末」読み歩き〜志士の足跡を訪ねる(三澤敏博・心交社)
坂本龍馬大事典(新人物往来社)


 ●ジョン万次郎の墓    2010/9/14 up  TOP  > 東京  > 池袋周辺   
東京都豊島区南池袋4 

 墓の位置は、1種15号19側。
 天保12年に乗っていた漁船が遭難し、以後12年間、無人島はアメリカ本土での生活を余儀なくされた。嘉永5年に土佐に帰国後は貴重な漂流体験を語り伝える。同6年には幕府に召聘され、軍艦操練所教授などをつとめた。また万延元年には咸臨丸に通訳として乗り組み渡米する。維新後の明治2年、新政府に出仕して開成学校の教授となるが、晩年は官を辞して不遇の生活を送った。
 龍馬との接触は資料の上では確認できない。

参考文献: 東京「幕末」読み歩き〜志士の足跡を訪ねる(三澤敏博・心交社)
坂本龍馬大事典(新人物往来社)


 ●護国寺(三条実美の墓・田中光顕の墓)    2010/9/14 up  TOP  > 東京  > 池袋周辺   
東京都文京区大塚5-40-1 

【写真左・田中光顕の墓】
 本堂に向かって右側にある。大和で討死した那須信吾の甥である。慶応3年、中岡慎太郎を首領とする陸援隊に加入した。維新後は政府の要路を歴任、明治末期、10年の長きにわたって宮内大臣を務めた。

【写真右・三条実美】
 田中光顕の墓の奥にある。母は土佐藩山内豊策(とよかず)三女紀子。文久3年8月18日会津薩摩が政変を起こし、参朝禁止処分を受ける。三条ら七卿は都落ちとなり、長州へ下った。

参考文献: 東京「幕末」読み歩き〜志士の足跡を訪ねる(三澤敏博・心交社)
坂本龍馬大事典(新人物往来社)


 ●妙行寺(三浦休太郎の墓)    2010/9/14 up  TOP  > 東京  > 池袋周辺   
東京都豊島区西巣鴨4-8-28 

 2010年8月に訪れたのですが、午後5時を過ぎており、残念ながら門が閉まってました。ここには、紀州藩家老代理だった三浦休太郎の墓があります。
 近江屋事件では、いろは丸事件に敗れた報復として龍馬の殺害を命じた黒幕との疑いを持たれ、慶応3年12月7日、宿舎の天満屋を陸奥宗光らに襲撃されるが、新撰組の護衛がついていたためにかすり傷を負ったのみで事なきを得ました。

参考文献: 東京「幕末」読み歩き〜志士の足跡を訪ねる(三澤敏博・心交社)
坂本龍馬大事典(新人物往来社)


 ●本妙寺(千葉周作の墓)    2010/9/14 up  TOP  > 東京  > 池袋周辺   
東京都豊島区巣鴨5-35-6 

 入ってすぐにレイアウトの看板があり、容易に見つけることが出来ます。
 北辰一刀流剣術を創始し、文政5年に日本橋品川町に道場玄武館をひらいた。のち、神田お玉ヶ池に移転し、江戸の三大道場の一つに数えられた。弟の定吉の道場で剣を学んだ龍馬とは直接の関係はなかったが、周作の死後の安政4、5年ごろに作られた玄武館修行者の名簿『玄武館出席大概』には龍馬の名が明記されている。
 本妙寺には、遠山の金さんで有名な「遠山金四郎景元」の墓もある。

参考文献: 東京「幕末」読み歩き〜志士の足跡を訪ねる(三澤敏博・心交社)
坂本龍馬大事典(新人物往来社)