●ニコライ堂    2010/7/26 up  TOP  > 東京  > 皇居周辺   
東京都千代田区駿河台4-1-3 

 安政4年、龍馬の父方の親戚山本琢馬(のちの沢辺数馬・右の写真)は江戸・桃井道場(武市半平太が塾頭)にいましたが、時計拾得事件をおこした際、龍馬は琢馬を逃亡させました。琢馬は遍歴の後、ギリシア正教会ニコライに帰依し、明治24年ここにニコライ堂を建てて、大司教となりました。

参考文献: 龍馬軌跡(宮地佐一郎著・旺文社)


 ●お玉が池跡    2010/7/26 up  TOP  > 東京  > 皇居周辺   
東京都千代田区岩本町2-5 

 お玉が池の一帯は江戸前期、大きな沼地でしたが、池畔の茶屋にお玉という美女がいて養父の死を悲しんで身を投げたという伝説から祠が建ったということです。
 龍馬が通っていたのは桶町にあった千葉定吉道場でしたが、定吉の実兄・千葉周作の玄武館はお玉が池脇にありました。

参考文献: 龍馬軌跡(宮地佐一郎著・旺文社)
ビックマンスペシャル坂本龍馬を旅する(世界文化社)


 ●靖国神社    2010/7/26 up  TOP  > 東京  > 皇居周辺   
東京都千代田区九段北3-1-1 

 上段の写真は、左から品川弥二郎像・大山巌像(北の丸公園)、大村益次郎像(靖国神社)です。品川弥二郎像・大山巌像は靖国神社の目の前にあります。
 靖国神社内に遊就館という資料館があります。幕末から太平洋戦争に至る戦没者・軍事関係の資料を展示してますが、幕末のものはほんの一角です。



 ●桜田門    2010/7/27 up  TOP  > 東京  > 皇居周辺   
 

 万延元年三月三日、水戸脱藩の浪士ら18人は、桜田門外にて大老・井伊直弼を討った。当日は春には珍しい大雪であった。
 桜田門外の変では、彦根藩士8人が死亡、負傷者十余名が出た。浪士組は1人が闘死し、重傷を負った4人は自刃。8人が自首し、5名が逃亡した。

参考文献: 幕末・維新 知ればしるほど(勝部真長・実業之日本社)


 ●坂下門    2010/7/27 up  TOP  > 東京  > 皇居周辺   
幕末・維新 知ればしるほど(勝部真長・実業之日本社) 

 桜田門外の変で横死した井伊直弼のあとを引き継いだ大老・安藤信正は、通商の勅許問題や攘夷論を抑えるために、「公武合体」という妥協案を朝廷へ持ちかけた。その具体案として、孝明天皇の妹・和宮の将軍家重への降嫁を要請した。
 これに憤慨した水戸浪士ら6名の尊攘激派は、婚儀のひと月前の正月十五日、江戸城へ登場途中の安藤信正を襲撃した。(坂下門外の変)



 ●勝海舟屋敷跡    2010/7/27 up  TOP  > 東京  > 皇居周辺   
東京都港区赤坂6-6-14旧氷川小学校内 

 右の写真が旧氷川小学校内にある碑。ここは維新後に勝海舟が住んでいた場所です。左の写真が直線距離にして200mぐらいにある氷川神社で、幕末時はこのそばに住んでおりました。

参考文献: 龍馬軌跡(宮地佐一郎著・旺文社)