●光林寺(菅野覚兵衛の墓)    2011/2/21 up  TOP  > 東京  > 南麻布   
東京都港区南麻布4-11-25 

 千屋寅之助のこと。土佐国安芸郡和喰村出生。同地庄屋民五郎の三男。
 土佐勤王党千屋菊次郎、金策は従兄弟。剣を小川為十郎、書を川村柳意に学び、土佐勤王党に加盟。中岡慎太郎らといわゆる五十人組に加わり上京、文久2年、旧知の高松太郎の紹介で、望月亀弥太とともに龍馬を知った。龍馬の勧めで勝塾に入り、以後、行動をともにする。第二次長征戦では、ユニオン号船将となり、長州軍の士気を高めた。イカルス号事件では水夫殺害嫌疑に対し、長崎奉行所で毅然とした態度を貫く。慶応4(1868)年3月、楢崎将作の三女、起美と長崎で結婚。全ては姉のお竜のてはずだったが、龍馬の意向でもあったようだ。戊辰の役には長崎振遠隊の幹部として奥羽地方の内戦救援に参加。明治2年には、白峰駿馬といろは丸沈没の賠償金の配分金を持って米国ニュージャージー州のラトガース大学に留学。明治7年に帰国して海軍に入った。明治10年西南の役には、鹿児島磯の造船所の責任者として、武器庫にあった弾薬を水に浸して機敏な処置をしたが、明治17年海軍を辞職、福島県安積郡富久村に入植して開拓に取り組む。









 初めて光林寺へ行ったのは2010年12月でした。そんなに広くないとたかをくくり、お寺の住所と墓石の写真だけを持って行きましたが、到着してから一時間以上も墓地内を歩き回ったのですが、見つけることが出来ませんでした。ここには、ヒュースケンの墓もあり、その案内図はあるのですが、龍馬の義弟である寅之助とお竜の実妹である起美の墓の案内はないのです。
 2011年1月、しっかりと資料を用意してリベンジしました。持って行ったiPhoneで、正面の門から、寅之助のお墓までの道順を録画しました。
 お参りに行かれる方は、ぜひこの動画をご覧になってから行かれる事をお勧めいたします。


参考文献: 東京「幕末」読み歩き〜志士の足跡を訪ねる(三澤敏博・心交社)
坂本龍馬大事典(新人物往来社)