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  ◆    大久保利通    ◆

大久保利通
大久保利通   おおくぼとしみち1830-1878 〔薩摩〕 2000/1/5 up
   西郷隆盛木戸孝允とともに明治維新の三傑と称される。しかし、他の二人とは異質で、冷徹なほど現実的であり、情と義の世界に生きる西郷とはあまりにも対照的なリアリストぶりゆえに、日本人の間ではあまり人気がない。利通は薩摩藩の下級武士の家に生まれた。祖父も父も学問や仏教に打ち込む進歩的な才人であり、家庭は常に開明的な雰囲気だった。青年期には武術の腕を磨くよりも中国の精神修養の書物を読みふけり、討論を好んだ。本格的な活動は、島津斉彬のもとで尊皇攘夷派のリーダー的存在となることから始まり、斉彬の死後は島津久光の政治手腕を見抜き、その知遇を得ることで自らの地位を確実なものにしていった。久光の藩改革では、つねに優秀な策士として薩摩藩を動かした。慶応三(1867)年、岩倉具視と結んで倒幕の密勅を得る。
維新後の新政府では、より実際的な政治家として数々の新体制作りに参加した。参与、内閣事務掛、総務極顧問などを歴任する一方で、木戸孝允らとともに尽力して、まず版籍奉還を推進した。さらに廃藩置県によって、政府が全国を統治下に置くという政治の基本的構図を完成させた。一方、幕末からの重要課題であった条約改正にも取り組み、岩倉使節団を海外に派遣するなどしたが、改正は実現しなかった。その後、参議と初代内務卿を兼任したが、征韓論をめぐって幼少時代からともに時代を生きてきた西郷隆盛と対立、明治十(1877)年の西南戦争は、私情を交えぬ彼らしいやり方でこれを武力鎮圧した。しかし、西郷のシンパたちの激情を招き、東京紀尾井坂で暗殺された。47歳であった。


                                       


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