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  ◆    吉田東洋    ◆

吉田東洋
吉田東洋   よしだとうよう1816-1862 〔土佐〕 2000/1/5 up
   高知城下帯屋町で土佐藩馬廻吉田光四郎光清の四男に生まれる。吉田の先祖は長宗我部家重臣、さらにその遠祖は藤原秀郷で、同じ首藤山内氏の縁から上士徒歩役に取りたてられたという。山内容堂に見出され仕置役人に起用されるが、安政元(1854)年在府中、山内家親戚を酒席で殴打する事件を起こし免職。一時、土佐国吾川郡長浜村に閉居し、開塾。後藤象二郎福岡孝弟岩崎弥太郎らを教えた。のち安政4(1857)年、仕置役に再起用され、容堂を助け藩政改革をおこなう。文武館を建設し、洋学の知識を広め、物品売買に税を賦課し、幕末の藩庫を安定させてた。また『海南政典』を編纂し、藩政の基準を示した。幕末の土佐藩論は、山内容堂の公武合体策を堅持し、土佐勤王党の主張する尊皇攘夷を書生論として一蹴したので、武市瑞山ら土佐勤王党と対立した。龍馬脱藩の十余日後の文久2(1862)年4月8日、『日本外史』本能寺の変を藩主豊範に講義して下条の際、武市のさしむけた勤王党三士により要撃された。大石流剣法を心得る東洋は抜き合わせたが討たれた終わった。享年47歳。


                                       


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